腫瘍マーカーの意味を検索したのは、
父の検査結果の異常値を聞いてからだった。
家族の中では、「ちょっとした何かの異常ぐらいだろう」
「悪い病気ではない・・そうであってほしい」
そんな空気が流れていた。
正直なところ、父がガンだなんて思ってもみなかった。
それもまさか、膵臓がんとは・・・。
実際、父は健康そのものに見えたし、
本人も体の不調は一切感じていなかった。
だから、父はこの検査結果を受けても
まだ何かの間違いだと思っていたようだ。
僕は父に内緒で腫瘍マーカーについて検索をした。
膵臓がんに対して高確率でワークする腫瘍マーカーだとわかり、
初めて”ガン”なのかもしれないと思った。
すい臓がんって?
ここから膵臓がんについて調べ始めた。
膵臓がんは末期症状になるまで痛みが出ないこと。
痛みが出る頃には、ほぼ治る見込みもないこと。
5年生存率が10%未満なこと。
最悪、余命3ヶ月や半年だということ。
調べれば調べるほど、絶望的だった。
それと同時にまだ希望も持っていた。
膵臓がん意外にも、腫瘍マーカーが反応する場合がある、
そう書いてあったからだ。
だから、
その希望も含めてなるべく深く考えないようにしていた。
けれど、
漠然と浮かんでくるのは、もしも余命半年だったなら、ということだった。
余命半年だとしたら父に何をしてやれるだろう。
そんな考えが浮かんでいた。
思い出したのは、父がふと語った「アマゾンに行きたい」という話。
大自然が見たい。
野生の生き物が見たい。
そんな思いだったのだろう。
どうしたらアマゾンに連れて行けるのだろう。
期間はどれほどみればいいのか?
家族で行くには流石に僕の経済力では厳しそうだ。
父は人工肛門だから、そのあたりの荷物はどうなるのか。
航空券の価格はどうか、
衛生環境はどうなのか、
もし旅行中に病気が悪化したらどうなる?
家族とは遠く離れた地で、僕一人で看取ることもあるのか?
・・・。
でも、大自然の中でたくましく過ごしていれば、
ガンも治るかもしれない・・・
などという考えがずっと巡っていた。
後悔なく安らかに逝ってもらうために、
僕に何が出来るだろう?
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