例によって呼吸法・瞑想のセミナーの内容はシェアができない。
が、概要は前記事に載せたとおりだ。
大まかには瞑想三昧の合宿だ。
笑ったり、叫んだり、歌ったり、黙ったり。
なんとも不思議な合宿だった。
沈黙は贅沢な時間だとわかった。
3泊4日の2日目から、沈黙のワークがスタートした。
沈黙とはその名のとおりで、
一切の声を出さない。
同室の人とも会話をしない。
知り合いであってもコンタクトを取らない。
スマホも一切見ない。
電源もオフにして外部と連絡を取らない。
自分だけの時間を大切にするワークだ。
並行して瞑想のワークや、
知恵の話を聞くのだが、
聞こえてくるのはインド人のヨギと、
通訳の声のみ。
食堂に響く食器の音
ふと面白いと思ったのは食事の時。
食事会場には、70名近くがいるというのに、
会話の声は一切聞こえてこない。
響いてくるのは、
フォークやスプーンと食器が当たるカチッカチッという
音のみだ。
人生で一度も体験したことのない不思議な感覚。
なんでもない窓からの景色に涙する。
瞑想を続けて心が浄化されていったのがわかる。
ふと窓から外を覗いた時、
涙が自然と流れた。
理由はわからないけれど、
とても満たされた気持ちだった。
まるまる2日、約50時間ぶりに発する声。
合宿の最後に、声を解放する。
沈黙を破る最初の一声には、参加者それぞれにマイクが渡された。
僕の言葉は「ありがとう」だった。
父の言葉は?
「ここに連れてきてくれてありがとうございます」
だった。
あぁ、連れてこれてよかった。
そう思った瞬間だった。
父に大きな変化はなかった。
正直なところ大きな浄化作用を期待していたことも事実だ。
自分と向き合い、瞑想を続け、
その過程で大きな浄化が起こりうる合宿。
僕の友人はこの合宿で子宮頸がんが消えたであろう、
浄化作用があった。
残念ながら目立ったような変化は、
膵臓ガンの父にはなかったようだ。
でもいい。
この合宿が父の状態にプラスになったのは間違いない。
それに、家族で過ごす特別な思い出にもなったんだから。
瞑想合宿終了後の気づき。
大きな声を出す会話が嬉しくない。
音楽がうるさく感じる。
人ごみに居るのが辛い。
家の外から聞こえる雑音やクラクションが辛い。
今まで当たり前だった環境が、
ストレスに感じた。
ストレスに敏感になったのか、
それとも今までストレスに鈍感だったのか。
自然に囲まれた静かな空間で、
会話もしない声も出さない1人の時間。
その時間がいかに贅沢な時間だったのかに気づいた。
さあ、翌日の7月18日は病院へ行く日だ。
精密検査の結果が出る。
膵臓がんの手術ができるか、できないか。
今後の治療方針をどうするのか。
父の人生がどう動くのかの重要な日だ。
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